内容をスキップ

◆港区待機児童ゼロ(国基準)を達成しました!〜どのように解消してきたか、港区議会議員当選後から8年間の今まで〜

港区議会議員 やなざわ亜紀 待機児童ゼロ
港区 待機児童ゼロを達成しました!!港区議会議員 やなざわ亜紀

本当に喜びです!!私が港区議会議員になった一番の理由!待機児童の解消!!

それが叶いました!
港区はついに待機児童ゼロを達成しました!!

私が娘を出産した平成22年は、港区は待機児童で溢れかえっていました。
核家族が増え、私も友達も、周りも、夫の帰宅が遅かったりする中で、母親が孤独に子育てをする毎日。


「大変」とか思いすぎるのも自分の赤ちゃんに申し訳ないのに、
うっかり「大変」とか周りに言っちゃうと
「好きで子ども産んでるんでしょ?」
「私たちの頃(昔)はもっと大変だったわよ」
なんて怒られる羽目になったり、
電車やお店の中で、
赤ちゃんが泣いちゃうと白い目で見られて肩身の狭い思いをすることもしょっちゅう。
待機児童も多くて、復職できるかどうかもわからなくて将来への不安も・・・。子育ての自信もなくなったり・・・。

その頃、よく私は、東京ミッドタウンでママたちと集まっていたのですが、
なんとみんな同じ気持ちで、
「自分たちに子育ての支援が必要」という気持ちだけではなく、
客観的にも
「日本は少子高齢化で急激に生産年齢人口が減る中で、世界から(IMFとか)埋れた資源と言われている日本の女性が働き続けながらも、子どもを産み、育てやすくすることが急務なのに、なに、この現象!変えなきゃ!」という気持ちになりました。
それで、調べてみると港区は待機児童率が23区内ワースト1だったんですね。

この言葉が衝撃すぎて、一番初めは私が言い出したんですけど(そりゃ(元)夫が出したデータなので)、
街頭演説や議会、HPで発信しているうちに、他の区議会議員の仲間もみんな使うようになりました。今でもこの言葉は浸透しています!

8年前、「港区からなら変えられる!!」そう思った私は、「港区議会議員に出馬しようと思う」と友達・知人に話し始めました。

どちらかという多くの人は「え、区議?無理じゃ・・・?」「区議になったからって変えられるの?」「でも、頑張って!」と仕方なく応援の言葉を言う感じ(笑)。

でも、保育園問題で撃沈した友達と、ミッドタウンでよく話していたママたちは「頑張って!応援する!」と力を込めて言ってくれました。それでも初めは応援者は10人にも満たなかったかな。

初めての選挙が、どれだけ大変で無茶苦茶だったかは、私がその内容を話した友達からは「本ができるレベル!」とよく言われますが、ここでは割愛。
無事に当選した私は、議会と行政の様に驚きました。

待機児童が多いのに、待機児童をゼロにするために保育園の数をとにかく増やす!と言う気概を少なくとも私は感じなかったのです。
肌感でもそうでしたが、ある時の保健福祉委員会の資料で、数年後の計画の中で「待機児童50人」と言う数値を見た時にはびっくりしました。「0」であるべきでしょ?と。

それと、待機児童に問題を感じてはいましたが、明確な計画がなかったのです!!(例えば、待機児童が●人いるから、来年は●人以上の定員数を拡大する!と言うレベルのものしかなかったのです。)

私の前職は、(株)資生堂の営業職で、常に目的のための数字を分析し計画して達成してきた私にとっては、考えられないことでした!!

8年前は、議会も行政も、
「保育園は作っても作っても、また他区から流入して増えるんです!」
なんて言ったり、
「保育園に預けるなんて、子供がかわいそう!小さい頃は親元でしっかり見るべき」
「保育園があるから子供が産みやすい、なんて大きな間違い!」
「少子化で何れ子供は減るのだから、今保育園を作りすぎたら、その時に施設が余って無駄になる」
などと言った声をよくかけられました。(特に議員さんからね。)

私は、他のことには反論できても、
「子どもがかわいそう」と言われるのが一番辛かったです。
それは子どもの気持ちなので、100%の反論ができません。
でも、孤独な子育てをし続けるより、母親が良い気持ちでいた方が、子どもへの愛情をさらに注ぐことができるという確信はありました。
何より、その子どもたちの明るい未来を作るためにも、子育てしやすい、働き続けやすい社会を作るんだという気持ちも揺るぎませんでした。

まぁ、そうして半年ほど、議会と行政がどんなところかわかってきた私は、初めての自分の議会の登壇の際に、他の議員さんや行政の方々が敵になってしまわないよう「共感・お願い作戦」に出たのです!!

「皆さん、今まですごくやっていただいてありがとうございます。港区が他区より先進的に取り組んでいただいているのはわかっています(←調べた)。」
「それでも私たち子育て世帯は困っているんです」
「子育て支援の方向性についての総合的なビジョンである「子ども・子育てビジョン」によると未就学児の人口に対する保育園定員数はH29年には潜在需要を含めると44%に達すると出ているので、今のままではとても足りません」
「二〇〇九年の「少子化社会対策に関する子育て女性の意識調査」からは、子ども・子育て施策の重要なものとして、一番目に経済的支援措置七二・三%、次に、保育所の充実をはじめとした子どもを預かる事業の拡充が三八・一%。この四〇%近い数字のほとんどすべてをかなえられるのは、今の制度上、区政であり、ここにいる私たちです。私たちはこの声にこたえ、少なくとも保育園の心配をしなくてもよいような社会をつくらなければなりません。そうすることで、子どもを産み育てることに夢を持てる社会に貢献できるわけです。」

などと訴えました。

登壇後、何人もの議員さんがお褒めと労いの声をかけてくださり、味方が増えたことを実感して、これはいけると思いました。



また、ある種、民間企業から、政治的なバックボーンがなく、いきなり区議になる女性が当時は少なかったことと、
私が幸か不幸か「美人すぎる区議」としてメディアに出て、港区の待機児童問題を港区以外で語ることが増えたりするなども議会で注目され追い風となり、


議員全員が待機児童問題を訴えてくれ、むしろ力のある先輩区議(自民党)は桂坂保育室が無くなりそうになる時はかなり尽力して閉室を撤回させるまでに至ったり(私が自民党に入党しようと思った大きなきっかけとなります)、

港区行政も、区の最重点課題に「待機児童の解消」を掲げるようになり、その後、過去最大の待機児童解消のための予算も執行されました。

待機児童は8年ぶりに2桁になるまで減り、
武井区長はそこからさらに「子育てするなら港区」を推進するために、保育園の第2子以降の無料化に踏み切るなどし、港区は合計特殊出生率が23区1位になります。

結果、また待機児童が増えてしまい、私も私の周りの議員さんもずっと議会や委員会、打ち合わせの場で、待機児童解消について訴えたり、交渉をし続け、港区も待機児童解消の「緊急解消策」を行なっていくわけですが、
そこからがまた大変で、もう余っているような土地はほぼどこにもなく、特区を活用する、都有地を譲っていただく、ベビーシッター制度を拡充させる、保育コンシェルジュなどによるマッチング、民間企業に協力を依頼する、空き定員を活用した1歳児定員拡大事業の実施、とにかく四苦八苦、あの手・この手で取り組み、
一方で、保育園が必要ではない、むしろ保育園ができることで自分たちの生活空間が脅かされる区民の方との話し合い、
それらはまだまだ途中経過なのですが、
区民の皆様と行政と議会と力を合わせて、
今年の4月、
私の2期8年の任期の最後、
そして平成最後の4月に、

ついに待機児童がゼロとなり、感無量です!!


8年前に一緒に待機児童ゼロを夢見、応援してくれた友達、私に投票し、区政へ送ってくださった方々のおかげです。ありがとうございます!!

ただ、希望の保育園に入れない方もいることや、
港区の未就学児の人口は今後も増えていきますので、
更なる定員の拡大に努めて参ります!!


そして、待機児童ゼロの次は、児童虐待ゼロを目指します!!

3期目も頑張ります!!

港区議会議員 やなざわ亜紀