小田あきの港区幕末史跡案内①「沖田総司の墓」-港区元麻布3丁目
今日、6月25日は、私にとって楽しみに楽しみにしていた日でした。
新選組一番隊組長 沖田総司(1842年又は1844年~1868年)のお墓に年に1度だけお参りできる日なんです。
①沖田総司とは??
陸奥白河藩(福島県)藩士の子。幼くして両親を亡くし、9歳頃、江戸市谷にあった天然理心流の道場・試衛館に内弟子として預けられ、後に新選組局長となる近藤勇の弟弟子として、10代で免許皆伝、20歳頃には試衛館の塾頭を務めるまでになる。近藤勇の新選組創設に参加。幹部として一番隊組長をつとめ、池田屋事件などで活躍したが肺結核により死去。享年25又は27歳。夭折の天才剣士。凄腕の一番組長としての顔とは裏腹に、当の本人はいつも冗談を言っては笑っていた陽気な人物であったようで、京都の壬生屯所界隈の子どもたちともよく遊んであげていたという。墓石には天然理心流の免許皆伝と共に北辰一刀流の免許皆伝とも刻まれている。よほど剣の天才であったことには間違いないでしょうね。 もっと詳しく知りたい人はこちら→沖田総司Wikipedia
②港区との関連は??
●沖田総司は、港区西麻布にあった江戸白河藩屋敷で生まれました!意外と知られていないけれど、西麻布生まれです!!これはまた次回以降記述しますね。
●沖田総司の墓所は、専称寺(港区元麻布3丁目1-37)にあります。お寺は六本木ヒルズのすぐ近くです。
お墓は、赤い(茶褐色)屋根があるところが目印。
※お寺へのお問い合わせは、禁止されておりますのでご注意願います。
③私にとっての沖田総司
私、沖田総司が好きなんです。
もう15年ぐらい。(一時期忘れていましたけれど。)
何が好きと聞かれると、他の志士たちと違って明確に言えない。
剣が天才的に強くて、純粋に師匠を強く想っていて、いつも笑っているけれど、どこか寂しげなところ(家族の愛を求めていたのか死への悟りか)。
剣にかけた純粋な想い。
そんなところかなぁ。
あ、あと女性に対しても純情だったと記述が残っているところとか(笑)
さて、今年は私の人生の大きな転換期。
4月17日から24日まで、港区議会議員選挙で戦っていたわけですが、
やはり選挙はプレッシャーもありますし、ストレスもたまります。
私、実は、この期間中に墓参にきたんですよ!
アホかって思われると思いますが・・・・。
墓参と言っても、年に1度しか中には入れないので、塀の外から。
「戦いの途中で死んでいくってどんな気持ちなんだろう」
とか、本当にいろいろ思いながら静かに、ただ静かに。
なので、今日はどうしても総司忌に来たかったんです。
(総司忌についてはお寺への問い合わせはしないでくださいねというのが決まりとなっていますので、宜しくお願いいたしますこちら。)
今日は公務と重なってどうしようかと思いましたが、終わったあとに駆けつけることができました。
御礼も伝えることができて良い1日でした。
それにしても、もう何年か来ましたが、毎年人がすっごく増えていることには驚きです。
私は一人で行きましたが、女性のグループが多かったかな。
まだまだ書きたいことはありますが、ここまでに。
港区議会議員 小田あき(現 やなざわ亜紀)
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わたしも今年は人生の転換期です。
議員になる!なんて程の大きなものではありませんでしたが。
一大決心をして達成しました。
わたしの場合はご先祖様のお墓にお参りにいきました。